コラムColumn
大嘗祭とアオウミガメ
2019/06/03
令和の時代に入り1ケ月が経過しました。
皇位継承に伴う重要な祭祀である「大嘗祭」が11月に予定されていますが、「大嘗祭」で使うコメの産地を占う儀式が29年ぶりに行われ、コメの産地は「栃木県」と「京都府」に決まりました。この儀式は加工されたアオウミガメの甲羅を火であぶり、ひびの割れ具合で東と西のコメの産地を一か所ずつ選びます。
儀式で使用されたアオウミガメの甲羅は小笠原で捕れたものとの報道がありました。小笠原では絶滅危惧種であるアオウミガメの卵を人工ふ化させ、子ガメを海に放流する事業を行っていますが、一定の捕獲頭数を決めて食用とする食文化もあります。この季節になると「初ガメ」としてお刺身や煮込みのメニューが食堂や居酒屋に出てきます。
日本には各地に食文化があり、この文化は人と自然との繋がりの中で長い時間をかけてつくり出されて来たものであり、その土地の歴史を表すものだと思います。
メイキング・ベジタブル
2019/04/22
10連休となるGWも今週に迫り、テレビなどではこの間の過ごし方などを親切に教えてくれます。
旅行や帰省など様々ですが、身近で自然と触れ合う機会が持て、自分で育てた野菜を食卓にのせる楽しみが待っている「野菜づくり」も身近なレジャーの一つです。
「野菜づくりはまず土から」といわれるように、土の良し悪しが作物の生育に影響します。
日本の「土」は一般に酸性土壌なので、土壌の中和を兼ねて石灰を施します。そして、三大栄養素である「チッソ」・「リン酸」・「カリウム」を含んだ肥料を投入し、新鮮な空気を土壌に入れるためにしっかり耕します。
「土づくり」の後は「種まき」です。野菜の種類によって気温等が適する時季に種まきをして、必要な頻度で水やりを行い、苗の成長を待ちます。
これは「人づくり」にも通じることで、新入社員が入社して1ケ月経ちますが、一人ひとりの将来を見据えて、しっかりと土台をつくることが大切です。
復興と震災遺構
2019/03/08
東日本大震災の発災から8年、被災した鉄道路線の再開や災害公営住宅の建設、そして新しい街並みなど被災地の復興状況がテレビに映し出されます。
こうした中、被災当時の建物等を震災遺構として後世に残す自治体もあります。その姿は「3.11」の津波の疫災を生々しく伝えます。津波の教訓を胸に刻む場所として残すべきという意見と、津波を思い出したくないので解体すべきという意見。どちらも住民の切実な思いです。
これからは新たな地域コミュニティの形成が重要になるのかも知れません。
自分の居場所
2019/02/13
2月は小笠原諸島では、数多くのザトウクジラの姿を見ることが出来るシーズンです。
10メートルを超える体長で、ジャンプする姿は迫力があります。北極海から数千キロの道程を泳いで子育てのために来ます。クジラやイルカなどの鯨類は哺乳類であり、進化の過程で自分の生きる場所(居場所)を求めて、陸上生活から再び海に戻った種です。水辺に生息していた小獣が、海への適応進化を遂げて大きくなったと言われています。大海原が鯨類にとって大きな体を維持できる快適な居場所となり得たのでしょう。
しかし、昨年、神奈川県の海岸にシロナガスクジラの赤ちゃんの死体が打ち上げられたニュースがありました。胃袋からは沢山のプラスチックごみが出てきたそうです。
鯨類の生活場所である海も、海水温の上昇や海洋プラスチックごみなどにより快適な居場所ではなくなってきているのかも知れません。
イノベーション
2019/01/07
「イノベーション」という言葉を広辞苑で引くと「①刷新。革新。新機軸。②生産技術の革新、新商品の開発など‥」の説明があります。現在では、AIによるロボット開発や車の自動運転などニュース等で普通に使われており、働き方改革を語る上でも、労働生産性の向上というフレーズの中でこの言葉がよく出てきます。
仕事や生活の中でイノベーションを実感することはそれ程多くありませんが、自分が「これはイノベーションだ」と感じる機会がありました。現在、地元農家の土地を借りて、栽培指導を受けながら野菜を育てていますが、その中にブロッコリーとカリフラワーを掛け合わせた「ロマネスコ」という野菜を見た時です。以前からあるそうですが、スーパーなどでも余り見かけない野菜であるため、最初の感想は見た目(視覚)の斬新さで、次に収穫時の手触り(触覚)や匂い(嗅覚)、そして食べた時の味(味覚)と全てが興味と驚きでした。得体の知れないこの野菜の正体について、自分の五感を駆使し「何者なのか」を把握することに努めた次第です。
新しい「物」や「仕組み」は次々に出現していますが、利用・使用する人がそれに興味を持ち、社会に必要とされるものとなって「これはイノベーションだ」と思われるのかも知れません。
海ごみと海ガメ
2018/12/12
海洋プラスチックごみ(以下「プラごみ」)が様々なところで話題になっています。
プラスチックストローを海ガメの鼻から引き抜く映像が衝撃的だったため、ストローをプラスチック製から紙製などに代える外食店やコーヒーショップ、コンビニが出てきています。
プラごみは、レジ袋やペットボトルから漁網まで様々です。海ガメの好物はクラゲで海洋を漂う姿がレジ袋と似ているため、海ガメやクジラなどの海洋生物が摂取すると消化出来ず、栄養が取れなくなり病気の原因になったりします。
さらに問題となっているのは、プラごみが紫外線や波で壊れ小さくなったマイクロプラスチック(およそ5ミリ以下)です。
マイクロプラスチックは、プランクトンなど小さな生物に取り込まれ、それを魚が食べ、食物連鎖で人体からも検出されているというデータも出ています。
脱プラスチックの動きは世界で急速に広がっております。
日本では今までも、容器包装リサイクル法などプラスチック製品のリサイクル制度はありましたが、さらにレジ袋を有料にする法制化が検討されております。
軽く、丈夫で便利なプラスチック製品の使用抑制は、生活様式を見直す契機になるとともに、その原料は石油や石炭、天然ガスなどの化石資源であるため、地球温暖化の抑制にも繋がります。
晩秋の山々
2018/11/08
秋も深まり、本州の山々は紅葉シーズンですが、北海道や東北の山々からは雪の便りも聞こえます。
今は、冬ごもりする前の静寂なシーズンです。
そんな山々の一つである南アルプスの山中に、焼却灰や生ごみが放置されていたとの新聞記事に目が留まりました。付近の山小屋から排出されたもので、廃棄物処理法の不法投棄の疑いもあるとのこと。
山小屋は登山者にとって大切な休憩・宿泊所であり、緊急時の避難所でもあります。アクセスが困難で近くに処理施設のない山での廃棄物処理は大変で、経費も掛かると思いますが、自然公園法でも自然環境の保護と快適で適正な利用の推進がうたわれており、廃棄物の適正処理は重要になります。
自然災害と災害廃棄物処理
2018/10/15
大阪北部地震、西日本豪雨、北海道地震、台風21、24、25号……
今年は大規模な自然災害が相次いで日本列島を襲っております。幸いにも東京には大きな被害をもたらしていませんが、今から5年前の2013年10月16日、都心から約120㎞南に位置する伊豆大島(東京都大島町)では、台風豪雨に伴う大規模な土石流により、死者35名、行方不明者4名、被害家屋80余戸という甚大な被害が発生しました。
自然災害発生後の初動対応として、先ずは人命救助、電気・水道・ガスなどのライフラインの復旧ですが、復興の最初の段階で「災害廃棄物」の処理が必要になります。災害廃棄物は廃棄物処理法では一般廃棄物として区分されますので、その処理責任は地元自治体の区市町村にありますが、自然災害では一度に大量の災害廃棄物が発生します。東京都の災害廃棄物処理計画では、東京湾北部に大地震が発生した場合の災害廃棄物の量を4047万トンと推計しており、この量は23区自治体で処理するごみ量の約15年分にあたります。さらに自治体の処理施設では処理が困難なコンクリートがらや廃自動車、廃家電等も処理しなければなりません。
これらの災害廃棄物を適正に迅速に、かつ出来るだけ資源化して処理するには、一般廃棄物や産業廃棄物の収集・運搬、処理事業者の力が必要になります。
このため国は災害対策基本法で、自治体からの委託を受けて災害廃棄物処理を行う事業者の許可を不要としたり、廃棄物処理法で災害時において産業廃棄物処理施設が許可ではなく届出により一般廃棄物である災害廃棄物を処理できる規程や再委託を可能とする規定を定めています。
廃棄物
2018/09/18
9月15日より廃棄物処理業関係を中心に行政書士の業務を始めました。
廃棄物(ごみ)は人が生活して行くうえで、また企業が活動して行くうえで必ず排出されるものです。
生活ごみは排出者である住民が、定められた日にごみと資源に分別して排出し、地元の自治体(区市町村)が定期的に収集し、処理します。
事業系のごみは、排出者である会社が排出される廃棄物の量や性状により、処理業の許可(一般廃棄物・産業廃棄物)を持った処理業者への委託や自治体へ処理手数料を支払い処理をするのが一般的です。
最近、廃棄物の報道等でよく出てくるのが、「災害ごみ」と「海ごみ」です。
資源化できるものは資源化し、適正かつ迅速に処理をしないと、生活環境や自然環境、さらには生態系に大きな影響を与えます。
高山植物
2018/08/23
(写真左:白馬の雪渓とチングルマ、写真右:劔岳のイワギキョウ)
夏山シーズンもそろそろ終わり。
暑い登山の途中、疲れた体と心を癒してくれるのは高山植物の花です。
ひと夏の短い間に、様々な種類の花が咲きます。
なかなか花の名前を覚えることはできませんが、途中に咲いていた高山植物の花の姿は記憶に残ります。